普通になりたい女の備忘録

死なないために書いてます。終わったら、何も残らないから。生きたい。今日もあなたのことを想って。

秋の誘惑にまんまと負けた女

こんばんは。サボリ魔ことMです(開き直っちゃうところが雑魚)

Mは秋の味覚、かぼちゃ、さつまいもの虜になった上に、止まらぬ食欲が最近の悩みです。体重計には怖くて乗れません。多分乗ってしまった時が鬱期に突入する時でしょう...。

最近は鬱なことが少なくてブログに何書けば良いんじゃろか...と思っています。私の一日の生活を話しても私は一般人なので素敵♡とか参考にしたい♡ともならないでしょうし。平穏です。ええ、それはとてもとても。でも平穏な日常の中で、すごく考えることはあります。それは将来のことや過去のこと。今現在のことを考えられず、遠い昔や未来を考えて漠然とした不安に襲われてみたりもしています。

遠い過去、Mが小学生だった頃の話をしましょう。私は幼稚園の友人が一人もいない小学校に入学してしまったため、入学したての頃は給食を食べる班に女子がいないということだけで泣いていた女の子でした。その女の子の時期はあっという間に過ぎ去り、入学してから2ヶ月も経ってみれば私は男子に混じってドッジボールをするような元気っ子に育っていました。そこからずっと男子と混じって遊び、給食も男子と同じようにおかわりをし、女の子の要素が微塵も感じられない子になっていました。月日は過ぎて小学校高学年。大柄の女が担任になりました。今まで出会った中で一番嫌いな先生です。尊敬する一面も好きなところも少しはありますが。なぜ嫌いだったのかというと大柄の女、贔屓をする先生だったからです。私が優遇されてたら好きだったかもしていたかもしれませんが、私はむしろ嫌われていた立場だったので色々と不利でした。先生が気に入っていたのはなんでも器用にできる身長が低めの女の子でした。先生は何かとその子に司会を任せたり、リーダーを任せたりと目に見えるほどの贔屓でした。私は小学生の頃は周りよりなんでもできる方で勉強も大好きで塾にも通っていたので小学校の成績はほぼパーフェクトでした。そして勘が少しよかったせいか、先生が贔屓していることにもすぐ気がついてしまったんです。でも私は中学受験をする身だったので内申書にかかれる期間が終わるまでは大人しく自分がやるべきことをやってきました。小学校六年生の後期、内申書に書かれる期間が終了し私は問題児へと進化しました。担任の大柄な女になぜ贔屓をするのか?と喧嘩をふっかけたり、授業放棄してトイレで本を読んでみたり。ただの問題児になりました。私と同じことを思っている女子が数人いてその子たちとずっと遊んでいました。当時言葉足らずだった私はあまり言いたいことも言えず、言われたい放題でしたが今は大柄の女にちゃんと対抗できる力がある気がします。今少しだけ12歳だった頃に戻っていってやりたい言葉をここに書きます。

「なぜある特定の生徒にだけ贔屓をなさるんですか?先生は贔屓をしている生徒とそうでない生徒に対する対応があまりにも違うと思います。先生も人間だし、好き嫌いや相性の良し悪しはあると思います。しかし教育者として生徒にその概念を適用するのはいかがなものでしょうか。生徒は先生の友人ではありません。先生に習ったことを踏み台に次のステップへと進むこれからまだまだ学ぶべきことがある子供なんです。ないがしろにされた生徒になったらどう思いますか?贔屓されているのを目の当たりにした生徒の気もしになったことはありますか?先生の専門科目、というか好きな科目は道徳だと担任になられた時に聞きましたが、そんなことをしていて本当に道徳を教えられるのですか?少しおかしいと思います。友人に好き嫌いで態度を変えるならともかく、生徒にはそんなことしてはいけないんじゃないでしょうか?どうお考えなんですか?」

と聞いてみたいものですね。大柄の女は私が卒業した2年後くらいに実家のある田舎へ帰り、そこで教師をしているみたいです。

私の人格形成が失敗した原因の一つをご紹介しました。小学生の頃はこれ以外は楽しい思い出でいっぱいです。小学四年生の頃はなぜかモテたし(爆)

人肌恋しい季節、誰かに隣にいて欲しいんですけどね...。ブスには近寄らないってか。まぁ独り身でも十分楽しい毎日を過ごさせていただいているので不自由ではないです☆

...私の性格上誰かに頼ることで罪悪感が芽生えてしまうので頼るより頼られたいタチですね......。

また雨が降るらしいっすね。ブログ更新も少しずつ頻度を上げねばならん。